僕は人間じゃないんです
”僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい
そっくりにできてるもんでよく間違われるのです”
RADWIMPS 棒人間
この歌を聞いて僕は人間じゃないと気づいた。
ずっと感じていた違和感。
人と違う。
特に大きくなって、大学生になって、1人の時間増えてよりその違和感を感じるようになった。
それを気付かれないようにあたかも普通の人であるかのように、人間の最大公約数であるように生きようとしていた。誰にも気付かれないようにしたかった。だからずっと周りの目ばかり気にしていた。
それこそが外にいる僕の行動の全てだった。
この曲の歌詞は僕をテーマに歌っているようにしか思えない。
特に、”結局モノマネはモノマネでしかなく 一人また一人と立ち去ってゆき 人間が剥がれ落ちるのです”
ってフレーズ。
もはや共感しか無い。
何をするにも人の顔色伺い、普通であろうとして、ふとした時に自分がわかんなくなる。どの自分が正しいのか、外にいる自分はほんとに透明人間みたいに実態がない。
だから僕は人間じゃない。
人と喋り方もわかんないし、どうやったらいいのかもわからない。
大きくなって、余計にやりづらい。
昔だったら子ども同士はお互いにガキだったし、大人が相手だったらちゃんとしゃべれなくてもガキなんでバカでーすってふりしとけば可愛いもんだった。
大人はもうひとりの青年としてみてくるし、子供は若い大人としてみてくる。
喋れませんテヘペロってするわけには行かない。
だから余計に人としゃべりにくい
なんか余計なもの背負ってしまった気がする。そしてこれから生きてくともっと背負っていくような。
でもみんなはそんなこと全く考えてないみたいに、喋りまくる。
馬鹿なことも話して笑いも生むし、それでいて本当に馬鹿だとは思われない。
そうやって平気な顔して自分の心を開いて、何でも話す。自分をさらけ出して嫌われないか心配じゃないのかとこっちが心配になるがみんなそうは思わないらしい。
その結果、みんなは何も余計なことを考えず楽しそうに友達とおしゃべりできる。
そんな周りの人と自分との違いを見て自己嫌悪になる。
かといって一人でいるのが好きかと言われればそうではない。
孤独はニガテだったりする。
一人でコツコツやるのが好きかと言われるとそうではない。
継続はニガテだ。
その欠点を補って余りある、才能を持ち合わせてもないし、コツコツ努力でカバーするタイプでもない。
そんな自分を生きてるとやっぱり人と違うよななんて思う。
そしてこの歌を聞いて、ああ僕は人間じゃないんだなんて思う。
この曲を作った野田洋次郎さんもなにか自分の特異さを感じてるのかな。
あんな余りある才能を持って、いい曲をかける野田さんも自分を人間じゃないって感じて生きづらいと思ってるのかな。
そう思うとなんか心強い。
最後にこの曲に込めた野田さんの願いを僕も願いたいと思う。
お見よう見まねで生きてる僕を許してくれますか
何度諦めたつもりでも 人間でありたいのです