よ~い シュート!!

リアルな感情を添削なしでつづります。 ときどき雑学を調べてまとめます

主体を捨てて客体として生きたい

主体を捨てて客体として生きたいという場合、幽霊の在り方はかなり良い選択肢かもしれない。

何の話かって比較的マイナーなアーティストのライブに行く場合、客は単なる客体ではなく少なくとも以下の3点で主体としての役割を求められる。

1.客が少人数かつステージとの距離が近いため、客の表情や反応が本人に伝わりやすい

2.マイナーな場合、客同士が知り合いだったり、コミュニティができている場合があり、それへの対応が求められる(無視する場合も参加する場合も)

3.何度も行くと本人に顔を覚えられる(可能性がある)そして会話をしないといけないかもしれない


まず大前提としてライブには一人で行き、そして曲やダンスやパフォーマンス等を十分に堪能して帰ってこれればそれでいい。それこそが十分すぎるほどのライブの楽しさである。

そこに本人と握手したり、来たよー来てくれたんだーの会話は要らない。    

なぜならそのアーティストが好きになったのは、その人が出ている動画やテレビや、もしかしたら有線で流れてきた音楽かもしれないが、一方的に享受する形のモノをみて好きになったはずで、その時は完全に客体だったはず。

その際に自己という存在はなかったはず。どういうことかというと友達になる時とひかくするといいかもしれない。

新しく知り合った人と親しくなる場合、その人と会話をして、その会話の中で相手との共通点や雰囲気また自分との相性を含めて、好意をもち仲良くなる。その際には相手の会話の内容がコンテンツとしての面白さなどの客観的内容だけが判断基準になることはなく、自分の話したことへの反応など主体の存在を前提とした客体も判断となる。 

一方で例えばYouTubeの動画をみて、曲に好きになったり、歌手にハマったりする時に主観に対する客体は存在しない。ただコンテンツがあるだけ。素敵な音楽があり、かっこいいダンスがあり、それに惹かれるだけだ。

だからライブに行くのはそのパフォーマンスを生でみて、空気を感じにいきたい、スマホの画面やスピーカーからじゃ伝わらないものを感じにいくもの。

だからできたら幽霊になって誰にも見られず最前列でみて、本人には顔さえ見られないまま一人で感動して、そさくさと家にかえり、余韻に浸りたいなぁ。

ッとか言ってみた。





まして他の客とのあれ、今回は来たんですね。はい前は忙しくて今回はなんとか。とかっていう会話はまったくもって不要。というか苦痛だ。