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RADWIMPSの「正解」は尾崎豊の「十五の夜」のアンサーソングなのではないかと思った話

RADWIMPSの「正解」は尾崎豊の「十五の夜」のアンサーソングなのではないかと思った。

最近、尾崎豊を聴いてる。とてもいい曲だしめっちゃ共感してしまう。大人への反発、社会への怒りを歌っていて、今の時代にもものすごく当てはまるなぁって思ってやっぱり尾崎豊は天才だったし今でも伝説であり続けるわけだと思ってた。

そんな中で僕にとって、とっても大切な曲RADWIMPSの「正解」 を久しぶりに聴いた。なにこれ同じことを歌ってるじゃんって思った。でも正解は一歩先を歌ってる気がした。

 

 

今回はそんなところについて考えてみたいと思う。

RADの方が大人であるということなのか

それとも尾崎豊提示したテーゼに対して時を経て、ようやくRADが答えることができたと捉える方が正しいのかもしれない。

15の夜には、社会への反発が歌われている。

例えば”心のひとつも解かりあえない大人たちをにらむ”、”大人たちは夢を捨てろ捨てろというが俺はいやなのさ”など大人が自分を理解しようとしない存在であると言っている。

そして盗んだバイクで走り出すわけだが、実際には大人たちから逃げ出したいのではなく本心では自分から逃げ出したいために家出をしたと僕は考える。

それは歌詞中のほとんどが”俺”の描写であることからもわかる。

”落書きの教科書と外ばかり見てる俺 ~ 届かない夢ばかり見てる やり場のない気持の扉破りたい”

授業なんて意味がないと決めつけ、まともに聞かず、夢を妄想でふくらませる。かといってその夢のために何かをするわけじゃない。何をしていいのかもわからない。

ただあんな大人みたいにはなりたくない。でもこんなふうに無駄に過ごしているだけなら俺もいつかあんな大人になってしまうのではないか。そんな自己矛盾を読み取ることができる。

そして

”自分の存在が何なのかさえ解らず震えている15の夜 盗んだバイクで走り出す”

自分が何をすべきなのか、何をしたらいいのかわからない中、周りが悪いと決めつけ盗んだバイクで走り出す。夜中の道路には自分たちの大嫌いな大人なんていなくて、なんだか”自由になれた気がした15の夜”なわけだ。

ただ重要であるのは”行き先も解らぬまま”走り続けていることだ。

15の子供が家を出ようと思ったところでできるはずがない。まして大した準備もしないまま。

バイクでどこまで走っても大人から逃れることはできないし、自分の妄想する夢が叶うわけもない。

この矛盾に対してひたすらに逃避することしかできない若さがある。

そんな思春期の15の誰もが抱える反発と自己存在の矛盾を歌ったのが尾崎豊「15の夜」である。

 

一方でRADWIMPS「正解」ではその矛盾に対して正解を見つけようとしている。

まず「15の夜」と同じように”理屈に合わないことをどれだけやれるかが青春だとでもどこかで僕ら思っていたのかな”と思春期の矛盾に対して1番サビ前で歌われている。

そしてその答え、自分の存在や夢に対するアプローチに対して、逃げるのではなく焦らずに向き合えと歌う。

それが「正解」だと思う。