なんか刺さる言葉を凡人が語ることについて
成功者の言葉は重みがある。
イチローが道具は大事というと道具の扱いが一流の必須条件な気がするし、ビルゲイツが常に本を持ち歩いていほど読書の重要性を解くと読書をたくさんしたら億万長者になれる気がする
でも僕だってポエムを書くことはできるし、世の中の真理的なことや成功論的なものを書くことはできるけど、僕のそれには重みがない。
それを裏付ける体験がないから。
あたりまえのこと。
じゃあなんで小説や映画や音楽の中の言葉が刺さったりするんだろう。
やはりそれを作った人の言葉だから、作者自身から来る言葉の重みなのだろうか?
ではその作者がそのセリフをいきなりみんなの前で言ってひとは感動するのだろうか?
違う気がする。
大体小説家や映画監督や作曲者は大抵それ自体で活動しているわけで必ずしも大金持ちだったり成功者であるわけではない。
でないと売れない貧乏な小説家は一生人の心を打つものはかけないことになってしまう。
じゃあ何に感動するのか。
その物語性だと思う。物語の文脈がより大切
その言葉が出てくるまでの過程、その言葉の背景に心を動かされるのではないかと思う。
それが虚構であれ、現実であれだ。
物語ではその人物がいかなる困難にぶつかり、どのように感じ、それに対してどうしたことで生じた言葉なのかが求められる。
結局何が言いたいのかというと、たとえ僕が成功者でなくても物語を自分で作れあげたら人を感動させられるということ。それは感動する言葉だけじゃなくて作品としても。
人として立派じゃなくても、人の心を揺さぶる物語が描ければ、いいものは作れると思う。