よ~い シュート!!

リアルな感情を添削なしでつづります。 ときどき雑学を調べてまとめます

庵野秀明になりたい今日この頃

庵野秀明になりたい今日この頃。

ありがたいことに今のところ誰にも読まれてないので全く責任を感じずに自由に物を書ける幸せなものです。

ブログの文体がいつもコロコロかわってしまってるんですが統一できないんです。

そのときの気分に合わせて書いてるから。

落合陽一氏になりきってるときは小難しいことを言おうとするし、小説家になりきって書くこともあるし、フラットな自分で書くこともあるので。

っていうか書いてる途中で心の火が収まってきて、「だ。である。」調から「です。ます。」調に変わることもしょっちゅうです。

なぜなら書いてる時に心が落ち着いてくるから。心を整理するために書いて、書いた結果心が収まるから急に語調が弱くなったりする。僕ってのはそういうものです。

 

話変わって昨日、自分の悩みは人に話すべきだなということに気づきました。

かなり重いレポート課題を出されまして、それを後回しにし続け、今日の朝提出だったのが昨日の11時までほとんどノータッチ(4行は書いてた)でした。他の人からこのレポは地獄(wordで10ページぐらい)ってのは聞いてたのでやばいなぁと思いつつ、そういう時間がかかるものほど怖くて触れないでいて、とうとう今日の今日まで見ないふりしていて、今日の夕方に自己嫌悪になり、なんで自分こんなにら後回しにするんだと思ってどよーんとしてました。

いつもはそれを人に話すのはまた責任を人に担がせて逃げることになると思って言わないでいたんですが、機会があってたまたまそのことを姉に話したんです。そしたら「えぇー!やばいやん!!」って言われた後、これはこうやったらあれはこうやったら的な感じで色々アドバイスくれて、ああそうか、そうすればいいんだ。ってか昔はこうやって勉強してたなぁって思って、ああちゃんとやろうって少し思えたんだよね。

1人で自己嫌悪になってる時より何倍も生産的だし、心もラクだし人に話すのって大事だなあと思う今日この頃でした。

 

文才のない人間が徒然なるままに書き殴ったためにまた一つ駄文を世の中に生み出すことことを兼好法師さん、お許しください。

そんじゃあ今日はさいなら