よ~い シュート!!

リアルな感情を添削なしでつづります。 ときどき雑学を調べてまとめます

風呂は面倒だし、パソコンは唸るし、仕事はピンチなSDGs

きづいたら秋になっている今日このごろ

Nrealがキャッチーな話題から少し過ぎたこの時期にAndroidエミュレーターを入れた。

これは、、、面白い。

PCの画面上にPCをポケットに、そしてタッチでの操作をというのがスマホの(アリストテレスで言うところの)エイドスであったはずなのに、Panasonicを代表するラップトップのディスプレイの中に収まった”タブレット端末”をマウスで操作するというのはなんとも味があるよね。

ともかく人生初のAndroidを手に入れることができ非常に満足しているし、路地裏の室外機かというレベルでうなりあげるもさくさく動いてくれるほどよいスペックを持った頑丈PCを持っていてほとほとよかったと感じる。

にしてもAndroidを1万で購入しようと思っていたのでエミュレーターを教えてもらえて非常に良かった。

これでUnityを実機に乗せることがようやくできそう。

にしても仕事が全く進まない。

1ヶ月近く寝てるのと同じ状態。先輩に時間もらって色々教えてもらってるからむしろ寝ながら2時間おきにおしめを変え直してもらってるという方が正確かもしれない。

まあ今回実機テストもできる環境をようやく整えたということで少しずつ進んでいくでしょう。

そんなことより先輩と仲良くなる気が全くしないのだがどうすればよいのか。

大学に入ってから新たな友達と出会ったという感覚がまったくなく、もう自分には友達はできないのではないかという不安に苛まれている今日のこのごろ。

人と付き合うときこの先のことを考える。

クラスメイトの場合、その一年一緒に過ごすというイメージ。持続する必要はない。

そうすると意外と気軽に仲良くなれる。どのみち1年しかナイのだから。一方で大学に入るとなぜか関係がゆるく決まった行事もないせいか4年間という時間を感じてしまう。

そうするとこの感じで4年間過ごすのは耐えられないとか、4年間ずっと何らかの話題を提供し続けないといけないの(もちろん相手にもしてもらうが)とか考えて、特別つるみたいやつができるまではむしろひとりでいいやと考えて今に至る。

持続しなければならないという変なプレッシャー感じ、何も話したくなくなる。

この感じ永遠に話を発展させなくてはならないことに対する漠然とした不安。

こういったものがとにかく苦手なのかも知れない。

そうするとむしろ割り切って持続させることをやめるか、発展させることを辞めるという手がある。

つまりこの21世紀で地球もろとも溶かし尽くしてやると考え石油をじゃぶじゃぶ使うと割り切って生きていくのか、むしろ脱成長コミュニズム*1

として激しい競争の中新たなテクノロジーによるイノベーションによる開発、発展ばかり進めるのではなく、いかにして誰も取り残さず上手く分配して無理して働かなくても生きていける世界を作るのかということ。

うーん。

なやましいな。過去を振り返るとこの一年だけだ燃えつきろという感で付き合っていた感はあったのかも知れない。そしてその後も仲良いままだったりする。

ということは持続可能性はあまり考慮しないほうが良いのかも知れない。

そして発展については競争を意識しないというのは大事になポイントな気がする。

周りの目や周りがどう振る舞ってるかを気にせず自分はmy own wayでやっていけばいい。ただし発展を目指すということは怠ってはいけない気がする。

会話というのは常に誰かが新たなことを話すことにより成立する。つまり発展なくして会話なしだ。

そんなわけでまとめると、非持続可能な自分だけの開発目標ということになる。UnsustainableOwnDevelopmentGoals(UsODGs)。読みはアスオディジーズというところでどうだろう。

というわけでみなさん、後先考えず自分だけの発展を目指してゆっくり歩んでいくということになりましたので、まさしく芸術、スポーツ、読書の秋と自己成長の季節にふさわしいまとめになりました。

ということで今日はここまで。

それでは失礼

今回の文書はタイトルが先に思いついてしまい、どうしてもこのタイトルにしたくて買い始めSDGsでどれだけ遊べるかが鍵だったのが、なんとも自分の中では十二分に楽しく遊べたので非常に満足しているところです。

 

【オールナイトニッポン】メール採用されたときのプレゼント紹介!

今回は深夜ラジオの代表「オールナイトニッポン」のプレゼントを全紹介していきます。

採用されたときに何がもらえるのかホームページにも書いてなかったりよくわからないですよね。

そこで今回HPに加えてtwitter、ブログなどを調べて、まとめてみました。

これを機会にメールを送ってグッズをゲットしましょう!

 

月曜日 菅田将暉

赤ペン

これはメールを送った人の中からさらに抽選みたいなのでメール採用されたからといってくるものではないみたいです。

そういった意味では難易度が高いプレゼントだと言えますね。

 

火曜日 星野源

ねぶり棒(歯ブラシ)

ねぶり棒とは歯ブラシのことでなぜその名前になったかはわかりません。

5色あるそうです。

ステッカー

さらに番組特製ステッカーもあるそうです。ただ紙を読むと、どうやらステッカーのデザインはもらった人だけの秘密らしいのでもらってからのお楽しみです!

これも面白いですね。もしゲットしたらこっそり教えて下さい。

 

水曜日 乃木坂46

不明

調べたんですが、わかりませんでした。

わかる方いらっしゃいましたらコメントで教えて下さい。

 

木曜日 ナインティナイン

秘密

番組のルールから秘密みたいです。

 

合格祈願神社という企画のステッカー

ステッカーですね。

ただこれはプレゼント企画でのステッカーなので採用のグッズとは違います。

 

金曜日 霜降り明星

ステッカー

 

霜降り明星の二人がかいけつゾロリの大ファンということで作者の原ゆたか先生デザインのステッカー。かわいらしいデザインですね。

 

土曜日  オードリー

ニチレイ 冷凍食品

note.com

採用されたネタの中から春日さんが毎週1等賞を決め、選ばれるとニチレイの冷凍食品がもらえるそうです。

 

まとめ

以上、オールナイトニッポンのプレゼント紹介でした。

パーソナリティによってグッズの種類も様々で、面白いですね。

みなさんもぜひ好きなラジオにメールを送ってプレゼントゲットしてください!

僕は人間じゃないんです

”僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい

そっくりにできてるもんでよく間違われるのです”

RADWIMPS 棒人間

 

この歌を聞いて僕は人間じゃないと気づいた。

ずっと感じていた違和感。

人と違う。

特に大きくなって、大学生になって、1人の時間増えてよりその違和感を感じるようになった。

それを気付かれないようにあたかも普通の人であるかのように、人間の最大公約数であるように生きようとしていた。誰にも気付かれないようにしたかった。だからずっと周りの目ばかり気にしていた。

それこそが外にいる僕の行動の全てだった。

 

この曲の歌詞は僕をテーマに歌っているようにしか思えない。

特に、”結局モノマネはモノマネでしかなく 一人また一人と立ち去ってゆき 人間が剥がれ落ちるのです”

ってフレーズ。

もはや共感しか無い。

何をするにも人の顔色伺い、普通であろうとして、ふとした時に自分がわかんなくなる。どの自分が正しいのか、外にいる自分はほんとに透明人間みたいに実態がない。

だから僕は人間じゃない。

人と喋り方もわかんないし、どうやったらいいのかもわからない。

大きくなって、余計にやりづらい。

昔だったら子ども同士はお互いにガキだったし、大人が相手だったらちゃんとしゃべれなくてもガキなんでバカでーすってふりしとけば可愛いもんだった。

大人はもうひとりの青年としてみてくるし、子供は若い大人としてみてくる。

喋れませんテヘペロってするわけには行かない。

だから余計に人としゃべりにくい

なんか余計なもの背負ってしまった気がする。そしてこれから生きてくともっと背負っていくような。

 

でもみんなはそんなこと全く考えてないみたいに、喋りまくる。

馬鹿なことも話して笑いも生むし、それでいて本当に馬鹿だとは思われない。

そうやって平気な顔して自分の心を開いて、何でも話す。自分をさらけ出して嫌われないか心配じゃないのかとこっちが心配になるがみんなそうは思わないらしい。

その結果、みんなは何も余計なことを考えず楽しそうに友達とおしゃべりできる。

そんな周りの人と自分との違いを見て自己嫌悪になる。

 

かといって一人でいるのが好きかと言われればそうではない。

孤独はニガテだったりする。

一人でコツコツやるのが好きかと言われるとそうではない。

継続はニガテだ。

その欠点を補って余りある、才能を持ち合わせてもないし、コツコツ努力でカバーするタイプでもない。

 

そんな自分を生きてるとやっぱり人と違うよななんて思う。

そしてこの歌を聞いて、ああ僕は人間じゃないんだなんて思う。

この曲を作った野田洋次郎さんもなにか自分の特異さを感じてるのかな。

あんな余りある才能を持って、いい曲をかける野田さんも自分を人間じゃないって感じて生きづらいと思ってるのかな。

そう思うとなんか心強い。

最後にこの曲に込めた野田さんの願いを僕も願いたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お見よう見まねで生きてる僕を許してくれますか

何度諦めたつもりでも 人間でありたいのです

 

 

 

 

 

旗、褒められて嬉しい

久しぶりに褒められた。

久しぶりすぎて自分が褒められてないことにさえ気づかなかった。

久しぶりに嬉しい。

久しぶりに自分を肯定された気がする。

最近自己嫌悪で自分を否定しっぱなしの節があったけど、やっぱ褒められると嬉しい。

今までも自分の原動力って誰かに褒められたいだったなぁ。

それを忘れてた。

マコなり社長とかの動画をみて誰かに褒められたり認められたりして得る幸せは本当の幸せじゃないんだって心のどこかで思ってたけど、かっこつけないでいうと僕も誰かに認められたいんだと。

そのためにコツコツ努力してきたのではないかと。

でも、そればっかりでもいられない。

誰かに褒められるために努力するのはやっぱり違う気がする。

ただ夢中で努力している最中に思いもよらず褒められるのがきっと正しい順序

あとは自分が本当は認めて欲しいことを認めてくれたから嬉しい。

そう思う。

だからこのぼくの文章群も誰かに、わずかな誰かに認められたら嬉しいのかな







久しぶりに頑張れるかも。


なんか刺さる言葉を凡人が語ることについて

成功者の言葉は重みがある。

イチローが道具は大事というと道具の扱いが一流の必須条件な気がするし、ビルゲイツが常に本を持ち歩いていほど読書の重要性を解くと読書をたくさんしたら億万長者になれる気がする

でも僕だってポエムを書くことはできるし、世の中の真理的なことや成功論的なものを書くことはできるけど、僕のそれには重みがない。

それを裏付ける体験がないから。

あたりまえのこと。

じゃあなんで小説や映画や音楽の中の言葉が刺さったりするんだろう。

やはりそれを作った人の言葉だから、作者自身から来る言葉の重みなのだろうか?

ではその作者がそのセリフをいきなりみんなの前で言ってひとは感動するのだろうか?

違う気がする。

大体小説家や映画監督や作曲者は大抵それ自体で活動しているわけで必ずしも大金持ちだったり成功者であるわけではない。

でないと売れない貧乏な小説家は一生人の心を打つものはかけないことになってしまう。



じゃあ何に感動するのか。

その物語性だと思う。物語の文脈がより大切

その言葉が出てくるまでの過程、その言葉の背景に心を動かされるのではないかと思う。

それが虚構であれ、現実であれだ。

物語ではその人物がいかなる困難にぶつかり、どのように感じ、それに対してどうしたことで生じた言葉なのかが求められる。

結局何が言いたいのかというと、たとえ僕が成功者でなくても物語を自分で作れあげたら人を感動させられるということ。それは感動する言葉だけじゃなくて作品としても。

人として立派じゃなくても、人の心を揺さぶる物語が描ければ、いいものは作れると思う。




庵野秀明になりたい今日この頃

庵野秀明になりたい今日この頃。

ありがたいことに今のところ誰にも読まれてないので全く責任を感じずに自由に物を書ける幸せなものです。

ブログの文体がいつもコロコロかわってしまってるんですが統一できないんです。

そのときの気分に合わせて書いてるから。

落合陽一氏になりきってるときは小難しいことを言おうとするし、小説家になりきって書くこともあるし、フラットな自分で書くこともあるので。

っていうか書いてる途中で心の火が収まってきて、「だ。である。」調から「です。ます。」調に変わることもしょっちゅうです。

なぜなら書いてる時に心が落ち着いてくるから。心を整理するために書いて、書いた結果心が収まるから急に語調が弱くなったりする。僕ってのはそういうものです。

 

話変わって昨日、自分の悩みは人に話すべきだなということに気づきました。

かなり重いレポート課題を出されまして、それを後回しにし続け、今日の朝提出だったのが昨日の11時までほとんどノータッチ(4行は書いてた)でした。他の人からこのレポは地獄(wordで10ページぐらい)ってのは聞いてたのでやばいなぁと思いつつ、そういう時間がかかるものほど怖くて触れないでいて、とうとう今日の今日まで見ないふりしていて、今日の夕方に自己嫌悪になり、なんで自分こんなにら後回しにするんだと思ってどよーんとしてました。

いつもはそれを人に話すのはまた責任を人に担がせて逃げることになると思って言わないでいたんですが、機会があってたまたまそのことを姉に話したんです。そしたら「えぇー!やばいやん!!」って言われた後、これはこうやったらあれはこうやったら的な感じで色々アドバイスくれて、ああそうか、そうすればいいんだ。ってか昔はこうやって勉強してたなぁって思って、ああちゃんとやろうって少し思えたんだよね。

1人で自己嫌悪になってる時より何倍も生産的だし、心もラクだし人に話すのって大事だなあと思う今日この頃でした。

 

文才のない人間が徒然なるままに書き殴ったためにまた一つ駄文を世の中に生み出すことことを兼好法師さん、お許しください。

そんじゃあ今日はさいなら

 

自己嫌悪

僕は周期的に自己嫌悪に陥いる。

昔から。

自分の怠惰さに我慢ができなくなることがその理由だ。

自分は怠惰な人間。

何をするにも後回しにして、自分の仕事の家事もやらないこともある。

大学の授業は基本溜まってからみて、課題だけやるし、課題の提出が遅れることもある。

一日中YouTubeTwitterネットで波乗りして時間が過ぎるのを待つ。

いつも夜になると、こんな生活は嫌だと思う。そして明日は変わろうと思うが、変わらないことも多い。

そして自分の怠惰さが溜まりに溜まって、コップから溢れ出した時、本当に自分が嫌になる。

吐き気はしないけど、ほとほと嫌になる。

そして嫌になってどうせ、そのうち変わればいいと思って、少しの間変わる。

そして少ししたらまた元に戻る。

サイクルしてる。

こんな曇りの日に書くんじゃなかった。

余計に嫌な気持ちになってきた。

記事の終わりは必ず明るく終わろうと思ってるのに、、、。

行動しないと変わらない。

行動をする。

同じサイクルを繰り返してるけど、実は少しずつ成長してるのだと信じよう。

今週はやることが多い。

これをやり切ったらまた走り出せるはず。

これを自分のできる範囲で頑張ってみよう