よ~い シュート!!

リアルな感情を添削なしでつづります。 ときどき雑学を調べてまとめます

今年の訓戒 ー特に前期

去年の目標は

人間性を捧げよう

血をはくまでやろう

だった。

なのでかなりの量やったと思う。諦めるとか妥協して言い訳する的なことが少なくなったのが去年の成長。あとは"やりたいことやりたいようにやりたいだけやる"もできた。

そのおかげで自分で妥協しなくても時間が妥協させてくれることがわかった。そんなわけで時間を気にせずやりたいようにできた。

ただアウトプットの完成度は20%の物を量産してしまった。ゴールを設定せずただがむしゃらに走るという方法をとったのでまとめ切れないものがたくさんあった。

そこで今年の前期はとりあえず、ゴールを設定してみることにした。また長期のゴールは忘れるので週単位の短期のゴールを設定する。そのゴールを最優先にし、やりたいことは後回しにする。60%を担保して残りの時間をやりたいことにする。そのため局所的には妥協することもあると思う。ただ全体としてのアウトプットの弱さを改善したい。

 

そんな訳で今年の訓戒は

週単位でのゴール設定とその順守

にします。

 

 

昨年の目標は3年間の目標であったので引き続きやります。

人間性を捧げよう!

ちをはくまでは自分の作業に向き合おう!!

今年の訓戒 ー特に前期

去年の目標は

人間性を捧げよう

血をはくまでやろう

だった。

なのでかなりの量やったと思う。諦めるとか妥協して言い訳する的なことが少なくなったのが去年の成長。あとは"やりたいことやりたいようにやりたいだけやる"もできた。

そのおかげで自分で妥協しなくても時間が妥協させてくれることがわかった。そんなわけで時間を気にせずやりたいようにできた。

ただアウトプットの完成度は20%の物を量産してしまった。ゴールを設定せずただがむしゃらに走るという方法をとったのでまとめ切れないものがたくさんあった。

そこで今年の前期はとりあえず、ゴールを設定してみることにした。また長期のゴールは忘れるので週単位の短期のゴールを設定する。そのゴールを最優先にし、やりたいことは後回しにする。60%を担保して残りの時間をやりたいことにする。そのため局所的には妥協することもあると思う。ただ全体としてのアウトプットの弱さを改善したい。

 

そんな訳で今年の訓戒は

週単位でのゴール設定とその順守

にします。

 

 

昨年の目標は3年間の目標であったので引き続きやります。

人間性を捧げよう!

ちをはくまでは自分の作業に向き合おう!!

主体を捨てて客体として生きたい

主体を捨てて客体として生きたいという場合、幽霊の在り方はかなり良い選択肢かもしれない。

何の話かって比較的マイナーなアーティストのライブに行く場合、客は単なる客体ではなく少なくとも以下の3点で主体としての役割を求められる。

1.客が少人数かつステージとの距離が近いため、客の表情や反応が本人に伝わりやすい

2.マイナーな場合、客同士が知り合いだったり、コミュニティができている場合があり、それへの対応が求められる(無視する場合も参加する場合も)

3.何度も行くと本人に顔を覚えられる(可能性がある)そして会話をしないといけないかもしれない

 

まず大前提としてライブには一人で行き、そして曲やダンスやパフォーマンス等を十分に堪能して帰ってこれればそれでいい。それこそが十分すぎるほどのライブの楽しさである。

そこに本人と握手したり、「来たよー」「来てくれたんだー」の会話は要らない。    

なぜならそのアーティストが好きになったのは、その人が出ている動画やテレビや、もしかしたら有線で流れてきた音楽かもしれないが、一方的に享受する形のモノをみて好きになったはずで、その時は完全に客体だったはず。

その際に自己という存在はなかったはず。どういうことかというと友達になる時とひかくするといいかもしれない。

新しく知り合った人と親しくなる場合、その人と会話をして、その会話の中で相手との共通点や雰囲気また自分との相性を含めて、好意をもち仲良くなる。その際には相手の会話の内容がコンテンツとしての面白さなどの客観的内容だけが判断基準になることはなく、自分の話したことへの反応など主体の存在を前提とした客体も判断材料となる。 

一方で例えばYouTubeの動画をみて、曲に好きになったり、歌手にハマったりする時に主観に対する客体は存在しない。ただコンテンツがあるだけ。素敵な音楽があり、かっこいいダンスがあり、それに惹かれるだけだ。

だからライブに行くのはそのパフォーマンスを生でみて、空気を感じにいきたい、スマホの画面やスピーカーからじゃ伝わらないものを感じにいくもの。

だからできたら幽霊になって誰にも見られず最前列でみて、本人には顔さえ見られないまま一人で感動して、そさくさと家にかえり、余韻に浸りたいなぁ。

ッとか言ってみた。

 

 

 

 

まして他の客との「あれ?今回は来たんですね。」「はい、この前は忙しくて。今回はなんとか。ははは。」っていう会話はまったくもって不要だと思う(会話が苦手な自分とって苦痛なだけ)。

 

主体を捨てて客体として生きたい

主体を捨てて客体として生きたいという場合、幽霊の在り方はかなり良い選択肢かもしれない。

何の話かって比較的マイナーなアーティストのライブに行く場合、客は単なる客体ではなく少なくとも以下の3点で主体としての役割を求められる。

1.客が少人数かつステージとの距離が近いため、客の表情や反応が本人に伝わりやすい

2.マイナーな場合、客同士が知り合いだったり、コミュニティができている場合があり、それへの対応が求められる(無視する場合も参加する場合も)

3.何度も行くと本人に顔を覚えられる(可能性がある)そして会話をしないといけないかもしれない


まず大前提としてライブには一人で行き、そして曲やダンスやパフォーマンス等を十分に堪能して帰ってこれればそれでいい。それこそが十分すぎるほどのライブの楽しさである。

そこに本人と握手したり、来たよー来てくれたんだーの会話は要らない。    

なぜならそのアーティストが好きになったのは、その人が出ている動画やテレビや、もしかしたら有線で流れてきた音楽かもしれないが、一方的に享受する形のモノをみて好きになったはずで、その時は完全に客体だったはず。

その際に自己という存在はなかったはず。どういうことかというと友達になる時とひかくするといいかもしれない。

新しく知り合った人と親しくなる場合、その人と会話をして、その会話の中で相手との共通点や雰囲気また自分との相性を含めて、好意をもち仲良くなる。その際には相手の会話の内容がコンテンツとしての面白さなどの客観的内容だけが判断基準になることはなく、自分の話したことへの反応など主体の存在を前提とした客体も判断となる。 

一方で例えばYouTubeの動画をみて、曲に好きになったり、歌手にハマったりする時に主観に対する客体は存在しない。ただコンテンツがあるだけ。素敵な音楽があり、かっこいいダンスがあり、それに惹かれるだけだ。

だからライブに行くのはそのパフォーマンスを生でみて、空気を感じにいきたい、スマホの画面やスピーカーからじゃ伝わらないものを感じにいくもの。

だからできたら幽霊になって誰にも見られず最前列でみて、本人には顔さえ見られないまま一人で感動して、そさくさと家にかえり、余韻に浸りたいなぁ。

ッとか言ってみた。





まして他の客とのあれ、今回は来たんですね。はい前は忙しくて今回はなんとか。とかっていう会話はまったくもって不要。というか苦痛だ。


本当に我慢ならない

マジで無理。耐えられない。本当に我慢ならない。

この人と何故生活をしなければならないのかもわからない。

あなたって私を否定する以外にする私にすることってないの?

そんなに否定しないといけない?

そんなにあなたにとって邪魔なの?

死んでほしいと思われているのは重々承知なんだけどね、

たぶんいつか殺されるけど。

まぁそれは別に重要じゃないんだよね。

死んだあとはすべての感覚、選択肢、状況、世界が失われるからまぁいいんですよ。

問題は生きてる間。感情があり、選択肢がある今生きてる状態の話。

一緒にいるだけでストレスになる。

もう無理。話しかけても来ないでほしい。こちとらかなり頑張って会話してる。

もう無理。自分の部屋で飯だって食いたいところをよく我慢してる。

もう無理。顔だって見たくない。

そんなに自分を嫌うならそもそも、関わろうとさえしなければいいのに。

こちらはかなり気を使って、完全にスルーしてる。

だってこちらが何かをすると向こうがストレスに感じるという事がわかるから。こっちがそうだから。

父から感じる半端ではない否定。

父からの否定。

きっともっと鈍感な人なら、そんな事気にせず生きていける。

きっともっと寛容な人なら、それもうまく流して生きていける。

だけどそれがぼくには我慢ならない。

本当にきつい。

きっと父は無意識にやっているのだろう。

何も無意識だろうが、自分を全く信用していないのだろう。何もかも間違っていて、はぁ疲れた。

もぅ無理なのかもしれない。こんなに生活は充実してるのにうちはボソボソだ。

はぁ謝りに行こうか。そんなことをしてなんの解決になるのだろうか。

まぁいいや、何も考えずに。なかったことにはならないだろうけど。

そうやってあぁ気の迷いね。あるよねぇって。

そう思わせとけばいいのかな。

なんの解決になるのかも知らないけど。

とにかく今日はつかれた。

自分には負担がでかすぎることをやった。

この感覚久しぶりだ。

 

そろそろ決断の時がやってきているのかもしれない。

独り立ちの時が近づいているのかもしれない。

一人で生きていける気はしないけど何事もやってみないとわからない。

あとはくいぶちとタイミングを待つのみ。

つかれたけど寝付けそうにない。

こんな夜は最果タヒさんの詩でも読みたい。

でも唯一もってる”死んでしまう系の僕らに”は今はみたくない死がテーマ。他のやつも買っとくべきだった。明日必ず補充しよう。2冊くらい。もぐとか。そういうやつ。

こうなったら映像研だ!

映像研を朝まで一気読みや!

研究室に配属されて初日に起こったこと

研究室に配属されて初めての実験で僕が達成したこと

1.容器のパッキンをつけ忘れ、ダイレクトに蓋を付けて投入しぶん回してしまい、精密機械を白濁した液体で、水浸しにする。(壊れてませんように🙏)

2.X線をするときに、台の上になにもないと思い不注意に自分の試料をいじくっていたら、普通に配置されていた先輩の試料を破壊する。

 

結論

初日からやらかしまくった!

学んだことは、指示されたことに対して、焦って手順を間違えてはいけない。落ち着いて、待たせてもいいから正しい手順を踏んでいるか確認しながら行うこと。装置を使うとき、他にも机で何かを触るときに触れてはいけないものはないかをきちんと確認すること。こいつバカか?って思われてもいいから、全部メモして、わからないことは全部聞くこと。以上

あなた探し

僕の知らない僕を知っているなら教えてほしいどんな残酷な真実でも構わない。知らないよりはましさ
僕が真実を握っていると思っているのか
ホントのところの真実なんて誰にもわからない
    少なくとも君に関する真実は誰にも決められないんじゃないかな    。君が一生かけて探し続けるしかないんだと思うんだ。
自分を見失ったからって他の人に頼ろうっていうんだろう。自分が探すのがめんどくさくなったかららくしてもしかしたら真実を簡単に回りの人間に聞けばわかるのではと考えるのはとても良作だとは思えない。なぜなら君の本質なんてものは他の誰にもわかるものじゃないからね。もちろん僕にも。
その中でも君はまだそれに近いものを持っている方だと思うよ。
もちろん周りの人が君に見えてない君を見ている可能性はある。
だけどそれは決して本質じゃないんだ。ある一面の君だからね。所詮人間の目で認識できるのは2次元のセキアに過ぎない。
真実はまして2次元でも3次元でさえない。真実はパラメーター無限大という性質を考えると無限次元なんだろう。そういう意味で完全に観測をすることは不可能なんだよ。
ほら地球を1人の人間が見たら円だとしか思えないだろう。まさか3次元だとは思えないはず。第一地球上にいたら本当のところ平面にしか思えないもんね。
だけど実際のところ地球は球だ。日本語の場合は名前のまんまになってしまうんだけど。
とにかく僕が言いたいのは君に関することはそんなに焦って探す必要なんてないんじゃないかということだ。